大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和39年(ネ)1463号 判決

昭和三九年(ネ)一四六三号事件控訴人

同年(ネ)二六六号事件附帯控訴人<第一審被告>

代表者法務大臣

石井光次郎

指定代理人検事

河津圭一

外四名

昭和三九年(ネ)一四六三号被控訴人

同年(ネ)二六六六号事件附帯控訴人

長谷川一郎

訴訟代理人弁護士

音喜多賢次

主文

控訴人の控訴ならびに被控訴人の附帯控訴に基き原判決を次の通り変更する。

(1)  控訴人は被控訴人に対し金四六一万八、二九〇円及びこれに対する昭和三五年五月一五日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(2)  被控訴人のその余の請求を棄却する。

(3)  訴訟費用は第一、二審(附帯控訴を含む)を通じ四分し、その一を被控訴人の負担とし、その三を控訴人の負担とする。

事実

昭和三九年(ネ)第一四六三号控訴人(同年(ネ)第二六六六号附帯被控訴人以下単に控訴人と称する)指定代理人は原判決中控訴人敗訴部分を取消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、昭和三九年(ネ)第二六六六号附帯控訴につき附帯控訴棄却の判決を求めた。昭和三九年(ネ)第一四六三号被控訴人(同年(ネ)第二六六六号附帯控訴人以下単に被控訴人と称する)訴訟代理人は控訴棄却の判決を求め附帯控訴として原判決を次の通り変更する、控訴人は被控訴人対し金九、一六七、一五五円及びこれに対する昭和三五年五月一五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とするとの判決と仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の事実上の陳述と証拠の関係は、

被控訴代理人において≪中略≫

第四 控訴人の当審における主張に対し

(1)  東一病院がレントゲン線照射を中止したのは笹川医師の指摘に基き被控訴人が中止を申出たからであつて控訴人が今になつて照射期間が長くなつたことと被控訴人の病症がレントゲン線治療に適応しなくなつたと主張するのは従来の控訴人の主張立証に反する。

(2)  控訴人は照射の術式が定まれば照射は技師に託するのが当然であるというが「診療エツクス線技師法」に定める条件は一向に遵守されず、又現実に照射を行つたのはレントゲン技師ではなく看護婦であつた。

(3)  その余の主張も被控訴人の主張に反する部分はすべて否認する。

と述べ。

控訴人指定代理人において、

一、医師の医療上の過失の有無を検討するに当つて、今日の知識を以て過去の医療行為についての注意義務を論定することは許されない。

医療方法は医薬、技法において日進月歩し数年前まで盛んに行われた医療方法が今日不相当とされることがある。しかしこれはかつて施用された医療方法が当時も不合理不当であつたことではなく当時は適当な方法であつたがその後における経験と研究から改良進歩をもたらし今日では行われなくなつたに過ぎない。

医薬や技法も副作用を否定し得ないものが少くないがそれでもなおそれが施用されるのは副作用による危険をおそれる以上にその効果が必要であると判断されるからである。施用の結果の害が遅発性の場合、類例の寡少、長日月間における他因子混入の可能性などから原因を確認することが困難な場合が多いのみならず、医師は病症に当面した時点の医学知識に基いて医療を行うのであるから現在の知識を基本として過去の医療行為の過失を論じることは失当である。

二、原判決は次の点で誤がある。

(1)  乙第一号証カルテによれば被控訴人の蹠に照射されたレントゲン線の総線量は四、七四〇レントゲンであつて五、七六〇レントゲンではない。

(2)  被控訴人に対し照射を中止したのは笹川医師の指示によつたのではなく照射期間が長くなつたこと、被控訴人の重症のレントゲン線に対する適応が捗しくなくなつたことに基き宮川、田坂両医師が協議した結果である。レントゲン線照射は術式が定められた以上専門のレントゲン線技師に託すのが当然である。そして毎回の照射量は微量であるから数回の照射で可知の皮膚変化が起る筈なく診察は毎回行う要がなく毎クール行えば足りる。

(3)  安全量の性質と数量を示さず照射総線量が安全量を超えたとし二年の期間に亘つたことを不当とした原判決は失当である。

レントゲン線が人体に無影響の限度は一週間に一、五レントゲンとされている。

レントゲン線治療には一回一〇〇レントゲン程度の照射は必要であるから原判決が週に一、五レントゲン程度を以て許された安全量と解しているとすればそれはレントゲン線療法の否定である。一回の照射で可視の皮膚変化を生ずる紅斑量は六〇〇レントゲンであるがその傷害は回復するものであり六〇〇レントゲンも分割し一〇〇レントゲン宛を六回に分けて照射した場合は紅斑は現われず、毎回の照射間に一週間の間隔を置けば皮膚の回復機能によつて一〇回の照射をしても皮膚に何ら変化を生じないのである。況んや毎クール間に一ケ月の休養期間を置けばこのような照射を反覆しても皮膚変化を生じないのが常である。

然るに単に施用期間が二年であつたこと、総線量が五、七六〇レントゲンであつたことを以て安全量を遙に超えたというのは単に本件の結果の発生を基として逆算的に立言したものに過ぎず、理解し難い。

(4)  レントゲン線照射の危険に対する医師の認識は(3)に述べたところであるが当時水虫には薬剤は一切無効で他に有効な療法もなかつたので医師はレントゲン線療法を賞用していた。このことは京大病院が東一病院におけるレントゲン線照射が三六〇〇レントゲンとなつた以後右事実を知り乍ら被控訴人に千数百レントゲンの照射をしたことからも認められる。

(5)  一般に本件程度のレントゲン線照射により当然に本件の如き結果が生ずるものではないことは(3)に述べた通りである。東一病院の照射から本件皮膚癌の発生を見るということは照射後の被控訴人の手当の不良その他何らかの因子が加わつたものに非ずんば稀有の事例という外ない。

原判決は「レントゲン線照射が皮膚に潰瘍を惹起し更に癌化する危険が可能性の程度でも症例があつて医学界において知られていた」と判定したがこのような照射線量を無視した議論は不合理で一時に大量を照射した場合に判示のような危険があつても本件のような方法、程度の場合と同一に断ずることは不可能である。もつとも本件当時から水虫にレントゲン線療法を施用した患者に後日潰瘍が生じた事例が報ぜられていたが数多の治療例中の極めて少数のものであり、且元来潰瘍はレントゲン線照射によらないでも発生するから当時は未だそれがレントゲン線照射によるものとは認め難かつた。

従つて本件東一病院の医師が当時因果関係を承認せず他に代替的治療方法を欠いたので本件治療を施し、長期化の嫌を生ずると共に一クールの線量を減じ休止期間を数ケ月の長きにとり徐々にこれを廃して行つたのは無理からぬ措置で過失視するのは当らない。

と述べ、

証拠≪省略≫

理由

(註) 以下次の病院名を夫々下欄の通り省略する。

国立東京第一病院 東一病院

京都大学医学部附属病院 京大病院

東京逓信病院 逓信病院

東京大学医学部附属病院 東大病院

第一当事者間に争のない事実

訴外宮川正は厚生省所管東一病院放射線科の医長、同田坂皓はその医局員として患者の診察、治療は両医師が協議して担当していたが同病院に勤務中汗泡状白癬(水虫)患者であつた被控訴人の患部治療のためレントゲン線(以下レ線という)照射を後記第三の(二)の一覧表中東一病院欄記載の通り(但し照射部位及び総線量については争がある)実施したこと、東一病院で引続きレ線照射を行つていた期間中被控訴人は京大病院に於ても同表京大病院欄記載の通り(但し線量については争いがある)レ線照射を受けていたこと、東一病院で最後のレ線治療を中止した後被控訴人は約二、三年間に亘つて温泉治療を行い更に昭和三一年八月二九日から翌三二年二月一一日まで逓信病院皮膚科で診療を受け、その後引続いて東大病院に通院または入院して放射線科、皮膚科の治療を受けたのであるが、その間に両足蹠に潰瘍が発生し、昭和三三年五月同病院で右足蹠の潰瘍は皮膚癌と診断され、同年五月二六日右下腿切断手術を受け、次いで左足蹠の潰瘍も同年一一月同病院で皮膚癌と診断されて同年一二月五日左下腿切断手術を受けたこと、その後昭和三四年二月一四日東大病院から厚生年金湯河原整形外科病院に転院し右下腿断端整形手術、整形手術機能訓練を受け同年九月一二日一旦退院し同年一〇月五日から同月一五日まで再入院して右下腿断端部の瘻孔掻把手術を受けたこと、同年一〇月一六日虎の門病院に転院して再度右下腿断端部の整形手術を受け同年一二月五日退院したこと。以上の事実は当事者間に争がない。

第二汗泡状白癬(水虫)に対する治療方法とレ線の照射

<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

水虫にレ線を照射することは相当以前から医療方法として行われていたものであつて、昭和二五、六年当時未だ今日あるような水虫に対する特効薬等は紹介されておらず、水虫にレ線を照射しても白癬菌が死滅しないことは判明していたが掻痒感を軽減することが出来るのと角質化した皮膚をレ線の破壊作用で落屑させ皮膚内の白癬菌を除去出来ると共に湿疹化したり二次感染を伴う場合患部を乾燥させる効用があるので根治を望むことこそ出来ないが水虫の対症療法の一つとして広く医療界で行われていた。

然しレ線は破壊力が強く大量の照射や小量でも長期に亘つて照射を続けると皮膚障害を起こすことは医師間には公知の事実であつたから一部の医師はすでにその頃から照射の限度を二〇〇レ宛三回位迄に限定している者もいたが一般には或程度の休止期間を置くときはレ線障害を受けれ皮膚は回復するので水虫が根治せず再発し易いところから掻痒感に堪えず照射を求める患者の希望を容れてだらだらと可なり長期に亘つて照射を続けるような例が多かつた。

現在ではレ線を照射しても白癬菌を死滅させることが出来ないのみならずレ線をかけ過ぎることによりレ線障害を生じ皮膚炎から潰瘍を起こし牽いては皮膚癌を惹起する惧があることが医師間に徹底し水虫のような良性疾患に対してはレ線照射は百害あつて一利なしとする者もあるようになつた。

第三東一病院のレ線照射と被控訴人の左右両蹠に発生した皮膚癌との因果関係

被控訴人はその両足蹠に発生した皮膚癌は東一病院が過大量のレ線を照射した過失に基くものであると主張し控訴人はこれを争うので以下右発癌が東一病院のレ線照射と因果関係を有するか否かを検託する。

(一)被控訴人の水虫罹患と治療の経過

冒頭争のない事実に<証拠>と弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

被控訴人は旧制第二高等学校に在学中の昭和二四年夏頃両手足に水虫を生じ同年秋頃から翌二五年三月頃まで東北大学医学部附属病院皮膚科に通院し主としてB・H・Cペニシリン系統の軟膏治療を受けたが一向に好転しないのみか益々悪化の傾向を示して来たので学業を中断して帰省し知人である東一病院の歯科医師五十嵐某がかつて水虫を患いレ線照射を受けて著効があつたと聞き同年四月一九日東一病院放射線科宮川医師の診察を受け爾来昭和二七年七月二九日迄引続き同病院で宮川及び田坂両医師からレ線照射による治療を受けて来た。

その間昭和二六年四月被控訴人は京都大学法学部に入学するようになつたので学業の関係から同年五月八日から七月四日まで京大病院放射線科でレ線照射を受け帰省した同年八月には東一病院でレ線照射を受け同年九月三日再び京大病院でレ線照射を受けたのであるが患部が悪化したので一時帰省し同年一〇、一一月に各一回東一病院、同年一二月三日には又京大病院でそれぞれレ線照射を受けたが同年一二月一八日から翌二七年七月二九日迄は引続いて東一病院でレ線の照射を受けた。昭和二七年五、六、七月の三回知人の紹介で東大病院皮膚科笹川教授の診察を受け軟膏治療も併用していたが三回目の診察の際同教授は被控訴人がレ線照射を受けている部位に色素の脱失や沈着のあるのを発見し被控訴人にレ線の照射を中止するよう勧説したので被控訴人は東一病院田坂医師にその旨の申出をした結果同年七月二九日を最後とし爾後同病院におけるレ線照射を中止するに至つた。

レ線照射を禁じられた被控訴人は薬も効がないので以後は病状が悪化すると温泉治療を行い湯治生活も約二、三年に及んだが更に験がなく昭三〇年八月頃から東大病院皮膚科の軟膏治療を受けたこともあつた。

被控訴人は逓信病院皮膚科小堀医師が水虫の権威者であることを聞き昭和三一年八月二九日から同病院で診療を受けるようになつたが小堀医師は被控訴人の病歴を問診し更に患部である両足蹠を診てこれを(1)汗泡状白癬、(2)放射線皮膚障害と診断し亀裂、潰瘍を認めたが両者が混在しているので先づ白癬の治療を先行させリゾール浴、「T・M・K」「T・M・HG」「DA68」軟膏、レスタミン亜鉛華カーボワツクス軟膏等を順次投与しやや白癬の軽快すると共に同年一二月一七日頃からレ線障害に基く潰瘍部の治療に当つた。然し同医師は被控訴人のレ線障害が東一病院等で三〇ないし五〇回のレ線照射を受けた結果の遅発性のもので病状重篤であると診断し被控訴人にレ線を照射した宮川、田坂両医師が在任する東大病院放射線科で責任ある治療を受けることを勧告したので被控訴人は昭和三二年二月一九日から東大病院放射線科の治療を受けることになつたのであるが右宮川医師は被控訴人の両足の患部をレントゲン潰瘍と診断しラドン軟膏等による治療を続けたが患部は悪化の一途をたどり右潰瘍部はそれぞれ皮膚癌となり相次いで左右下腿の切断手術を受けるに至つた。

(二)次に東一病院と京大病院におけるレ線照射の回数、間隔日数、照射部位、および照射線量についてみるに、前記争いのない事実とによると<証拠>次表の通りである。

レ線照射一覧表

年月日

病院名

照射部位

照射量

(単位)

間隔

日数

備考

昭和二五・

四・一九

東一病院

Ⅰ~Ⅳ

各一二〇

〃 二五

五・ 四

〃 一〇

〃 一七

〃 三〇

一二

六・六

〃 一六

〃 二二

七・一

昭和二五・

七・七

一時中止(三二日間)

八・九

Ⅰ、Ⅱ

各一二〇

三二

〃 一七

〃 二六

九・八

一二

〃 一四

〃 二一

〃 二九

一〇・六

〃 一三

〃 二〇

〃 二七

一時中止(一八日間)

一一・一五

Ⅳ Ⅴ

一八

〃 二二

一二・六

一三

〃 一四

〃 二〇

〃 二七

昭和二六・

一・二七

Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ

三〇

二・二

〃 八

〃 一七

〃 二四

〃 三・九

一二

〃 二二

一二

〃 三一

一時中止(三七日間)

五・八

京大病院

Ⅰ、Ⅱ

各一二〇

三七

(被控訴人京都大学に入学

〃 一四

一五〇

〃 二三

一五三

六・六

Ⅰ、Ⅱ

各一四〇

一三

〃 二〇

各一二〇

一三

昭和二六・

七・四

各一四〇

一三

八・二〇

東一病院

Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ

各一二〇

四六

(暑休帰省中と考えられる)

〃 二九

九・三

京大病院

二〇五

一〇・二五

東一病院

Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ

各一〇〇

五一

(水虫悪化にて一時帰省中)

一一・一

一二・三

京大病院

一八〇

三一

〃 一〇

二〇五

〃 一八

東一病院

Ⅰ~Ⅳ

各一〇〇

〃 二四

昭和二七・

三・一二

七七

〃 一九

〃 二六

四・二

〃 八

七・一五

九七

〃 二二

(昭和二七年七月頃東大病院

笹川教授にレ線照射中止を指示される)

〃 二九

(註1) 両病院の照射方法の比較

東一病院

京大病院

管電圧

六〇キロボルト

(最後の三回は六五キロボルト)

一五〇キロ、一四〇キロ、一六〇キロ、一一〇キロ

各ボルト

管電流

三ミリアンペア

各三ミリアンペア

フイルター

〇・五ないし一ミリ

(アルミニューム)

(銅)〇・五ミリ(アルミニューム)一・〇ミリ、三ミリ

距離

二〇センチメートル

四〇センチメートル(最初四回)

他は三〇センチメートル

(註2) 照射部位欄記号の説明。

(東一病院)

(1) 昭和二五年四月一九日以降昭和二七年四月八日迄。

Ⅰは両足蹠。Ⅱは右足背。Ⅲは左足背。Ⅳは両手掌。

(2) 昭和二七年七月一五日以降。

Ⅰは左手。Ⅱは右手。Ⅲは左足。Ⅳは右足。

(京大病院)

Ⅰは両足内。Ⅱは両足外。

(註3) 照射毎分レ線量と照射時間。

(東一病院)

カルテに毎分量の記載がない。

(京大病院)

毎分量(単位)

時間(単位分)

回数

備考

一二

一〇

(同日Ⅰ、Ⅱの場合二回として計算す。)

一五

一七

一八

一〇

二〇

二〇・五

一〇

三〇

(注4) 右表中東一病院の昭和二五年八月九日以降の「カルテ」の記載は昭和二五年四月一九日以降同年七月七日迄の「カルテ」の様に「各」の記載を欠いているが京大病院の「カルテ」、東一病院の前記当初の「カルテ」の記載に照し各照射部位につき各一二〇γ又は各一〇〇γの照射がされたものと認める。

右表に基き計算すると昭和二五年四月一九日以降同二七年七月一九日までに各患部に照射されたレ線量と回数は次の通りである。

患部及回数

左右足蹠

回数

右足背

回数

左右背

左右手

回数

病院別

東一病院

五、〇四〇γ

四四

三、七二〇γ

三三

五、〇四〇γ

三、〇四〇γ

二〇

京大病院

左右足内一、四一三γ

左右足外五二〇γ

(注) (東一病院)昭和二七年四月八日迄のⅡは右足背、Ⅲは左右背として計量し昭和二五年一一月一五日以降同年一二月二七日迄のⅤは患部位置不明に付Ⅴ部の七二〇γは各部の計量から除外した。

控訴人は東一病院の両足蹠に対する照射総線量は四、七四〇γであると主張するがこれを認めて右認定を覆すに足る資料はない。

(三)レ線照射と皮膚癌の関係。

<証拠>を綜合すると次の諸事実を認めることが出来る。

レ線は一八九五年に発見され欧羅巴においては翌一八九六年から医療に活用されるに至つたが同年早くもレ線障害患者の発生を見、一九〇二年にはレ線工場の技師の手に最初のレ線障害に基く皮膚癌の発生が報告され以来一九一〇年迄にレ線照射を原因とする皮膚癌患者の一〇例が学界に報告された。

我医学会においても一九二五年(大正一四年)頃からレ線照射による皮膚癌防止の対策が真剣に考えられ昭和二四年九月二五日発行の「日本医学放射学会雑誌」第九巻第三号(甲第二〇号証)には「癌研山下久雄、慶大医専宮坂知治」両名の名で皮膚癌一二〇例中レ線照射が原因と考えられるもの三〇例、その三〇例中汗泡状白癬治療を原因とするもの一〇例が報告され(なお昭和三一年六月発行の「癌研究の進歩」第二版(甲第三二号証)には放射線癌四〇例中汗泡、湿疹等治療によるもの一四例の高率を報告している。)レ線を汗泡状白癬のような良性疾患に多量に施用することの危険は昭和二四、五年当時の我が医学界においても広く知られていた。

また、レ線照射による皮膚障害は累積的傾向を有するから、たとい一回の照射量は微量でもこれを反復照射することは危険を伴うから注意しなければならないことは一部の学者から指摘されていたが、一方には反復的に照射しても一週間に一回一〇〇rないし二〇〇r前後の照射はその間に障害が回復するし一クール毎に相当期間の休止期間をおけば害は少ないという見解をとつている学者もあつたけれども、何れにしても余りに長期に亘り総線量が過大になることのないように常に注意しなければならないことは医師の常識であつた。

そして、昭和二一年から昭和三五年までの一五年間に癌研附属病院放射線科を訪れた皮膚癌二〇七例について同病院の医師山下久雄、石田修が調査報告するところによれば(乙第八号証)、右二〇七例中r線照射が発癌の誘因となつていると推定される二三例についてそのr線照射の平均回数は五五回、平均期間は四年発癌に関与したと思われる線量は五、五〇〇r〜八、五〇〇rであつたことが認められるのである。右認定を覆すに足る資料は他に存しない。

右認定の事実に、さきに認定した第三の(一)、(二)の事実を併せ考えると、本件被控訴人の両足蹠皮膚癌の発生については前記東一病院における前後四四回に亘るレ線照射がその主要な原因をなしているものと認めざるを得ない。

第四東一病院放射線科医師の診療上の過失。

そこで更に進んで本件皮膚癌発生の主要原因であるレ線照射を担当した東一病院の医師に過失があつたか否かを検討しなければならない。

(一)昭和二五年から昭和二六年当時わが国において水虫に対する治療法としてレ線照射が広く用いられていたことはさきに認定した通りであるから、東一病院の宮川、田坂医師が被控訴人足部水虫に対する治療のためにレ線照射療法を採用したこと自体には固より咎むべきところは何もないというべきである。ところが水虫は一般にレ線照射によるもこれを根治することは極めて困難で、ただレ線照射が患者の掻痒感を除き患部を乾燥させる等の効果があるので、根治療法ではないが対症療法として用いられて来たことはさきた説明した通りである。原審鑑定人籏野倫、同山下久雄の各鑑定の結果によると、皮膚にレ線を照射する場合その照射線量が大量になると皮膚障害を生じ、脱毛、色素沈着、紅斑、水泡、潰瘍等の症状を生ずること、この潰瘍から癌変化した症例は少なくないこと、レ線照射による皮膚障害は日時の経過によりある程度回復するものであるから、同一線量の照射でも一定の休止期間をおいて少量宛分割照射した方が一時に照射する場合よりも皮膚障害は少ないこと、但しレ線照射による皮膚障害は休止期間をおいても完全に治癒するものではなく一部は残存して累積するから少量宛の分割照射であつても長期に亘つて反復するとやはり潰瘍等発生のおそれがあると、このような潰瘍ないし皮膚癌発生の危険を避けつつ水虫の治療方法として妥当な毎回の照射線量、照射間隔、照射回数、合計線量等がどれ程であるかについては、水虫の症状の軽重、レ線効力の個人差等のために画一的に定めることはできないけれども、この点につき、ある医師は一回の照射線量150〜200r、照射間隔七日〜一〇日、合計300〜500rで中止し、良好を得られぬ場合でも1000rを超えるべきではないとし、またある医師は一回の照射線量50〜60rとし週一回、三〜五回で休止し、要すれば一、二ケ月後更に一周療を行つてもよいとし、更に他の医師(前記鑑定人山下久雄)は200r宛に三回位照射するに止め、長期の照射は行うべきでないとしていること、被控訴人に対する本件東一病院のレ線照射は、籏野鑑定人の見解によれば、その合計線量において大量に過ぎるのであり、また山下鑑定人の見解によれば、発癌の危険性を潜在するから行うべきものではなかつたこと、がそれぞれ認められる。更にまた、成立に争いのない乙第九号証によると総合臨床雑誌「治療」の昭和二六年二月号に前記山下久雄医師外二名が過去一五年間に経験したレ線障害である皮膚癌三〇例について報告しそのうち一〇例は汗疱治療のためのレ線照射に因るものであること、および過量照射に特に注意を要する旨を強調していることが認められるのである。

このようにみてくると、さきに第三の(二)において認定した通り左右足蹠につきそれぞれ合計五、〇四〇rに達する本件東一病院におけるレ線照射はその毎回の照射線量、照射回数、および照射間隔を勘案してもその総線量において、一般に皮膚癌発生の危険を伴わないとされていた線量を遙かに超える過大のものであつたと認めざるを得ないのである。レ線照射は水虫に対しては根治療法ではなく、対症療法に過ぎず、しかもこれによる皮膚障害としては生命にもかかわる皮膚癌発生の危険を伴うというのであつてみれば、レ線照射により水虫の治療に当る医師としてはこの点に細心の注意を払い苟くも皮膚癌の如き重大な障害の発生することのないよう万全の措置をなすべき業務上の注意義務のあることは言うをまたないところであり、本件において、東一病院の宮川、田坂両医師が被控訴人の水虫治療のためになしたレ線照射が右の如く過大のものでありしかもその照射と被控訴人の左右各足蹠に生じた皮膚癌との間に因果関係を認めうる以上右両医師はこの皮膚癌の発生は右両医師が診療上の注意義務に違反して漫然レ線照射を続けた結果であつて、この点において両医師は過失の責を免れないものというべきである。

(三)控訴人は(1)前記両医師は治療目的を達する範囲で生起する皮膚障害を最少限に止めるべく一回の照射線量、照射間隔に十分の注意を払うと共に全体としての照射線量にも必要な注意を加えて加療したから過失はないというけれどもたとい一回の照射線量、照射間隔は妥当であつたとしても、その合計線量が右認定の如く過大であつたと認められる以上右両医師は本件治療行為につき過失の責を免れないというべきである。また(2)レ線照射が癌発生の一因であることは一応一般の認めるところであるが疑問の余地がないわけではないのみならずその発生率は極めて僅かであつて、本件発癌の主因はむしろ被控訴人の長期に亘る皮膚疾患、薬物使用あるいは体質等他の因子が考えられしかも発癌の有無を予め知る方法は存しないから本件癌の発生を両医師の責任に帰することはできないというけれども、本件皮膚癌の発生については東一病院におけるレ線照射がその主要原因であると認むべきことはさきに説明した通りであつて、これに反しその主因が控訴人主張の如き他の因子であることを認めるに足る資料はない。もつとも前記籏野倫の鑑定結果によると、レ線による発癌に関してはその発生機序は不明の域を出でず、本件皮膚癌もレ線照射による潰瘍から癌変化したものかあるいはレ線照射以外の事由(例えば、掻痒のための掻破に基因する二次感染、あるいはレ線による皮膚硬化萎縮面に受けた外傷)により潰瘍が生じそれから癌変化したものであるかは明らかでなく、従つて本件の場合レ線照射と被控訴人の足部潰瘍及び潰瘍からの発癌との間に直接の因果関係が存在すると断定することはできないというのであるが、前認定の如く昭和三一年八月逓信病院の小堀医師は被控訴人の両足蹠に水虫の外放射線皮膚障害があると診断し、次いで昭和三二年二月東大病院宮川医師も同様に被控訴人の両足にレントゲン潰瘍があると診断しているのであるから他に反証のない限り本件被控訴人の皮膚癌発生の主因が控訴人主張の如きレ線照射以外の因子であるとは到底認め難く、この点に関する前記籏野鑑定人の見解は採用できない。更に(3)仮に被控訴人の皮膚癌がレ線の過大照射により発生したものとしても被控訴人は東一病院でレ線照射を受ける傍ら京大病院においても控訴人主張の如き合計千数百rに達するレ線照射を受けたので、両者が重り合つて過大照射となつたのであるから右発癌を東一病院の両医師の責に帰することはできないと主張し、被控訴人が昭和二六年五月八日以降同年一二月三日迄の間に両足内に一、四一三r、両足外に五二〇rのレ線照射を受けたことはさきに認定した通りである。右照射線量は必ずしも少しとせず、京大病院でのレ線照射も東一病院のそれと併せ本件発癌の一因子となつたことは否定できないが、京大病院の照射前すでに三、六〇〇rを照射し京大病院での照射期間中に四四〇r、京大病院での照射終了後更に一、〇〇〇rに達する東一病院の照射が本件皮膚癌発生に主要原因を与えたものとみて差支えないものと思われるので、京大病院での照射の故に東一病院での照射と本件皮膚癌発生との間の因果関係を否定し東一病院の医師に過失の責はないとすることは相当でない。

(4) 控訴人は更に、医師の医療上の過失責任を論ずるに当つては、今日の知識を以て過去における医療行為の当否を論定することは許されないと主張する。

医薬及び技法が日進月歩することおよび過去における医療行為につきこれを担当した医師の過失責任を論ずるに当つては当該行為当時における一般の医師の医学知識を標準とすべきことは当然であるから、控訴人の右主張は一般論としては固より正当である。しかしながら、さきに認定した通り、わが国においては、大正一四年頃からレ線照射による慢性の皮膚障害、就中最も症例の多い皮膚癌についてその対策が真剣に考えられるようになり、昭和二四年九月発行の「日本医学放射線学会雑誌」(甲第二〇号証)には皮膚癌一二〇例中レ線照射が原因とみられる三〇例についての報告記事が掲載されている外、成立に争いのない甲第一七、第一八号証、第二一ないし二三号証によると昭和二四年ないし二六年当時公刊されていた数種の医学書又は医学雑誌に皮膚癌を含むレ線障害の症例及び対策等に関する記事が掲載されていることが窺えるから、これらの事実からすれば、前記の如く宮川、田坂両医師の診療上の過失を肯定することはその当時における医師の一般的医学知識を標準としても何ら不当とは考えられないのである。この点に関し前記山下鑑定人の見解は、本件のようなレ線照射はその線量と期間の相関から発癌の危険性を潜在するから行うべきでないということは今日の医学知識からいい得てもそのことは本件照射当時においては一般に知られていなかつたからそれをさかのぼつて不当と判断することに学問的疑問を感ずるというのであるが、レ線照射はその線量が過大になると癌を含む皮膚障害発生の危険のあることは本件照射当時わが国医学界においてすでに広く知られていたと認むべきことはさきに説示した通りであるから、右鑑定人の見解(後段の部分)は採用しない。

(三)被控訴人は、宮川、田坂両医師の過失に関し、右の外になお、

(1)  東一病院における照射にあたつては、直接の目的とする部位以外の部分を遮蔽しなかつたので一つの部位に対する照射が他の部位にも及び従つて実際の照射線量が予定線量の倍に達するような不完全な照射方法を実施した点に宮川、田坂両医師に過失があると主張し、遮蔽措置をとらなかつたこと及び多少の重複照射のあつたことは控訴人の争わないところであるが、その重複照射により実際の照射線量が被控訴人のいうように倍増したと認むべき証拠はなく、右重複照射により実際の照射線量がさきに認定した線量より幾分多いことは推測できるけれどもそのために本件の潰瘍ないし皮膚癌の発生に何らかの影響があつたことの立証はないから、右主張は結局採用できない。

(2)  水虫治療は元来皮膚科の領域に属するから、宮川、田坂両医師はレ線照射を継続中皮膚科の診察を受けしめ、或いはその所見をただしてレ線障害の発生を予防すべきであるのにこれを怠つた点に過失があるというが、医師の資格ある者は自己の専門分野以外でも医療行為をなし得ないわけではなく、放射線科の医師には皮膚科の知識経験がないともいえないから、宮川、田坂両医師がレ線照射による治療を継続中に皮膚科医の診察を受けさせずまた皮膚科医の所見を聞かなかつたとしてもこれを以て過失ということはできない。

(3)  田坂医師はその担当した後半の約三〇回の照射に際し自ら照射に立会つて照射方法その他の照射条件に過誤なきを期すべきであるのにそのことなく看護婦にその実施をまかせきりであつた点において過失があると主張し、原審及び当審証人田坂皓の証言によると田坂医師は被控訴人に対しレ線照射による治療をする際機械を操作し現実に照射を行う作業は概ね同医師の監督の下にレントゲン技師又は訓練を受けた看護婦に委せていたものと認めるけれどもそのために照射方法その他の照射条件に過誤があつたことの立証はないから、右主張は理由がない。

(4)  昭和二七年四月頃被控訴人の両足のレ線照射部と正常皮膚の境界附近に約一〇糎に亘る黒斑点が出現し明白にレ線障害が認められたのに田坂医師はこれを看過ないし無視してレ線照射を継続したことは同医師の過失であると主張するが、被控訴人が東大病院笹川医師から足部にレ線障害があるから爾後の照射を中止するように勧告された昭和二七年七月には東一病院における照射も打切つたことはさきに認定した通りであり、被控訴人の主張するようにそれ以前の同年四月頃から明白なレ線障害のあらわれたことを認めうる証拠はないから右主張もまた理由がない。

第五<証拠>によると、東一病院において宮川、田坂両医師は協議の上隔日交替で患者の診療に従事していたのであつて、被控訴人に対する本件五〇回のレ線照射のうちどの部分を右両医師中の何れの一人が担当したかは必ずしも明かでないが、本件レ線照射を全体として一個の診療行為とみ右両医師の共同診療行為と認めるのが相当であり、両医師のこの共同診療行為上の過失により被控訴人をして両下腿切断手術を受くるのやむなきに至らしめたことはすなわち被控訴人に対する両医師の共同不法行為に外ならず、両医師の使用者である国は被控訴人に対しその蒙つた損害を賠償すべきである。

第六被控訴人の蒙つた損害。

よつて以下被控訴人主張の損害額につき判断する。

(一)積極的損害。

≪中略≫

合計金五九万一、六五二円を支払つたことが認められる。右の支出は被控訴人のレ線障害の治療と皮膚癌の手術ならびに術後の処置、その回復を計る上において要した必要最小限の支出と認められるからさきに認定した宮川、田坂両医師の共同不法行為により被控訴人の蒙つた損害というべく控訴人は被控訴人に対し右金員を賠償する義務がある。

(二)得べかりし利益の喪失

(1)  <証拠>によると被控訴人は昭和二九年三月京都大学法学部を卒業したことが認められ、<証拠>と弁論の全趣旨によると、被控訴人はおそくとも昭和三一年一二月末頃から右足蹠、同三二年一月初頃から左足蹠にそれぞれレ線潰瘍を生じその治療のため入院中皮膚癌の発生により両下腿の切断手術を受け、手術後の治療、断端の整形手術、歩行訓練等のため湯ケ原整形外科病院、虎の門病院で療養生活を送り最終的に虎の門病院を退院したのは昭和三四年一二月五日であるから右入院、療養の三年間は職業に就き得なかつたのは当然である。

学業を卒えた者は家業に従い、あるいは自営する場合を除いて就職し収入を得るのが通常である。昭和二九年から同三二年頃にかけて特に就職が困難であつたと認められる反証もないから、被控訴人は前記の如き足蹠の潰瘍及び皮膚癌の発生、手術等のことがなければ尠くとも昭和三二年頃には就職して学歴相応の収入を得ていたと認めるのが相当であるから右三年間の療養生活中その間勤労によつて得べかりし利益を喪つたということが出来る。

(2)  被控訴人は昭和三五年以降の損害として両下腿を切断したことにより将来勤労に従事しても通常の労働力に比し大幅の減損を来たすのは当然であり両下腿切断は労働基準法施行規則別表身体障害等級表の第二級「両下肢を足関節以上で失つたもの」に該当し労働能力喪失表によると第二級障害の労働能力喪失率は一〇〇%とされているからこれに対比して考えると被控訴人の労働力減損度は最少限五割を下らないとし、従つて、被控訴人が同年一月以降取得すべき収入額の五割に相当する金額を喪失したと主張するのでこの点につき判断する。

被控訴人が援用する労働能力喪失表は成謂肉体労働を対象として作成せられたものである。従つて事務労働能力の喪失率について被控訴人のいうようにその五割を喪失したものと容易く断定出来るものではない。

両下肢は一上肢を喪つた身体障害者が健康人に伍して変りなく事務労働や頭脳労働に従事している例の稀でないことは公知の事実である。もつとも身体障害者が健康人と遜色のない作業能率を挙げるか否かは専ら本人の意思と努力如何にかかり身体障害者のすべてに望み得ることではないし、また両下腿切断というような障害を持つ者は就職の際不利益を受ける惧のあることは否定できないけれども一旦就職が出来れば事務労働に関する限りその労働能力が五体健全な者に比し半減し、牽いて収入も半減するとは到底考えられないのである。

<証拠>によると、被控訴人は最後の退院間際頃から義足による歩行訓練をするうち次第にステッキ一本でも歩行出来るようになり通勤途中の不便を除けば机上の仕事は普通変りなく出来るところから就職を考えるに至つたこと、昭和三六年頃友人の伝手を以てその勤務先である原子力研究所に就職を希望し係員の面接まで受けたが両脚を切断していては無理であろうと言われて希望を遂げることが出来なかつたが爾後は積極的に就職口を探した事実がないこと、被控訴人の父は茨城県龍ケ崎市において相当大きな砂糖卸商を営み居り被控訴人はその長男で二、三男は家業に従事していること、被控訴人は京都大学法学部を卒業したので将来弁護士たることを希望し現在も司法試験の受験を心掛けていること等の諸事実を認め得るのである。

右認定事実によると被控訴人の就職については相当の困難があると考えられるが事務能力及び賃金取入が本件身体障害のために半減するとは認め難いし殊に家業を継ぐ余地も十分に考えられ、将来その希望する法曹界に進出する可能性もあつてこれらの職に就いた場合を考えるとその身体障害による収入減は就職の場合に比し一層少いものと考えられる。

しかし前記本人尋問の結果によると被控訴人は杖と義足とにより一応歩行できるようになつたものの日常の起居動作には相当の不便がある上夏期には折々断端と義足の接触部位に「汗も」を生じ足部が腫脹して義足の装着も出来ず寝込むことがあることが認められこれらのことが被控訴人の事務能力に影響しその取得する賃金その他の収入にある程度の減少を来たすことはみやすいところであつて、これらの事情を彼是勘案するときは昭和三五年以降における収入の減損額(得べかりし利益の喪失額)は右の如き身体障害のない場合の収入額の二割程度であると認めるのが相当である。

(3)  被控訴人は昭和三二年当時は満二九歳、本訴を提起した昭和三五年五月一一日当時は満三二歳であつて、満三二歳の健康体男子は厚生省発表第九回生命表によると通常満六八歳まで生存することは控訴人も明らかに争わないところである。

<証拠>によると中央労働委員会事務局は昭和三四年六月現在における全産業部門の大学卒(新制、旧制とも)職員の年令別平均賃金を

二五―三〇歳一万九、七〇三円(月額)

三〇―三五歳二万九、五三七円(〃)

と発表していることが認められ当時賃金が逐年増加の傾向であつたことは公知の事実であるから昭和三二、三三年度の平均賃金はやや三四年度を下廻り昭和三五年度以降は反対に上廻ることが考えられるが昭和三二ないし三四年の差は僅少であること、旧制大学卒業者の賃金が多くの場合新制大学卒業者の賃金を上廻つたことは当裁判所に明らかなところであるからこれら諸般の事情を考慮すると被控訴人の得べかりし利益の喪失額を算定するに当つては右事務局発表の平均賃金額を以て全期間の算定の基本とするのが相当であると認める。

この点について控訴人は被控訴人が大学卒業後直に就職しなかつたのは水虫治療中で且家庭が裕福であつたという主観的事情によるものであるから大学卒業と同時に就職して当該年齢に達した者として甲第一三号証の四の統計値を適用して請求するのは失当で同統計値中の初任給額を、大学卒業時の年齢二六歳に水虫治療期間の年数を加えた齢に達したとき漸く得るものとして計算すべきであると主張するが、前認定した通り昭和二七年七月東一病際において最終のレ線照射を受けた当時すでに色素沈着等のレ線障害と認められる病状を生じていたのであり、それが在来の水虫と重なり合つて被控訴人としては療養に専心する外なかつたことは上来認定の事実から容易に推測でき、控訴人主張の被控訴人の主観的恣意に基くものと認むべき資料は皆無であるから、本件の場合被控訴人は大学卒業後直に就職した者が加齢と共に取得する平均賃金に基いて得べかりし利益の喪失額を請求できるものというべく控訴人の右主張は採用できない。

(4)  よつて進んでその損害額を算定する。

(イ) 昭和三二、三三、三四年度(入院中)の得べかりし利益喪失額。

昭和三二、三三年度は前示甲第一三号証の四によると被控訴人は二五歳以上三〇歳以下の年齢に該当するから大学卒の全産業平均賃金月額金一万九、七〇三円の二年分計金四七万二、八七二円、昭和三四年度は三〇歳以上三五歳以下に該当するから月額二万九、五三七円の一年分金三五万四、四四四円。

合計金八二万七、三一六円。

(ロ) 昭和三五年以降の得べかりし利益喪失額。

被控訴人は昭和三四年一二月五日退院したが三年間の入院生活と両脚切断という身体障害を受けたので社会復帰に退院後もある期間は当然準備期間として就職し得ない時期があつてしかるべきであるが被控訴人は当審において本件訴訟を提起した昭和三五年五月一一日以前も含めて昭和三五年当初から昭和七一年迄の得べかりし利益喪失を一括して請求し昭和三五年度分については収入減損額の全額を請求をしていた従前の請求を一部減縮したので被控訴人は昭和三五年当初から就職可能の体調に復したものとして右喪失額を計算する。

そうすると被控訴人は昭和三五年以降満六八歳に達する昭和七一年迄毎月それぞれの年齢に相応する前記平均賃金額の二割に相当する金額を本件不法行為の結果喪失したものというべく、被控訴人はこの金額を昭和三五年五月現在で一時に請求するものであるからホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を 昭和35〜71年間の大学卒職員の平均賃金の2割相当金の現価格表

(註1)昭和35年以降の計算方式は被控訴人の別表と同じく甲第16号証によつた。

(註2)円位以下は四捨五入した。 控除して算出するとその現価格の明細は次表の通りである。

よつて右現価格金二六九万九、三二二円は被控訴人が昭和三五年以降その余命年間中に両脚喪失により失う得べかりし利益額に相当すると認め控訴人は被控訴人に対し右金員を支払う義務がある。

第六慰藉料

被控訴人が漸く最高学府を卒業し社会人として出発せんとする矢先きにレ線の過大照射に基く皮膚癌に襲われ両下腿切断手術を受けるの外なきに至り日常生活から将来の社会活動に至るまで思ひもかけぬ制約を受けることになつたのみならず両下腿切断によつて生命の危険は一応去つたというものの尚癌の転移を脅え乍ら終生を送る物心両面の苦痛、不利益は察するに余りがある。

しかしさきに認定したところから明らかなように、本件のそもそもの原因は被控訴人が水虫に罹患した不運に胚胎したこと、被控訴人が東一病院で治療を受けた当時は水虫の対症療法としてレ線照射が医療界で広く行われていたこと、東一病院がレ線治療を行つたのは京大病院のそれと共に被控訴人が自ら放射線科に照射を求めて行つたことに基くこと、本件レ線障害の発生については東一病院の照射が主要原因をなしているとはいえ京大病院でのレ線照射結果の累積も合せてその原因となつていると考えられること、東一病院の両医師は過失の責任は免れないとはいえ、レ線照射が当時水虫に対する治療方法として広く行われていたことや同病院での照射の実施状況に鑑みると両医師の過失は軽度のものと認められること等の諸事実の外被控訴人の家庭環境、教養その他本件審理に現れた一切の事情を考慮するときは、被控訴人に対する慰藉料は金五〇万円が相当であると認める。

しからば被控訴人の請求は以上認定したところを合計した金四六一万八、二九〇円とこれに対する訴状送達の翌日であること記録添付送達報告書により明らかな昭和三五年五月一五日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分について正当として認容し爾余は失当として棄却すべきものである。従つて控訴人の控訴と被控訴人の附帯控訴は結局理由があるから原判決を主文の通り変更し、訴訟の総費用につき民事訴訟法第九六条第九二条を適用し、なお仮執行宣言は、債務者が国であるし、被控訴人の家庭が経済的に余裕があつて判決の確定前に執行しなければならない程差迫つた必要もないと認められるからこれを付さないこととして、主文の通り判決する。(岸上康夫 小野沢龍雄 斎藤次郎)

別 表 ≪省略≫

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例